みりあ帰還後



 みりあが湯之原に戻って来て、それなりに時間が経った。春が過ぎ、夏を越え、秋になる。
 外は少しずつ寒くなり始め、葉は紅く染まりかけていた。
 街ではまだ残暑がどうだとかいう話になっているようだが、湯之原では中央を流れる川のせいか、夏の服装をする人は減っている。特に今日のように風が吹く日は、結構寒い。だというのに、みりあは半袖で一人立っていた。
「みりあ、何やってんだ。置いてくぞ」
 しかし振り返らない。湯之原を照らす夕日をじっと見つめている。
「始まってしまったか……」
 なんか変な事を言いだした。
「よくわからないこと言ってないで帰るぞ。そのままじゃ風邪を引く」
 それを聞いてみりあは振り返る。なんだか遠くを見るような目をしていた。
「おとうちゃん、この風は良くないものを運んでくる……」
 良くないものってなんだ。祭りを目の前に控えているんだから、不吉なことは言わないで欲しい。
「みりあちゃんどうしたのかしら……」
 俺の横にいた美咲が心配そうに言う。
「たぶんそういう時期なんだよ」
「ならいいんだけど……」
 自分で言っておきながら、この説明だけで良く伝わったなとか思ってしまう。ただ、そうは言いつつも少し気になっているようだ。頬に手を当ててそわそわしている。
 美咲はみりあとの繋がりを気にしている。養子縁組となり戸籍上は親子になったけど、血の繋がりはない。
 俺はあの一件でそれを気にするような事は無くなったが、美咲はまた違うようだ。みりあがどう思っているのか、それが気になっているみたいだけど、聞けずにいる。
「みりあ、みんな待ってるからもう戻るぞ」
「そうするか!」
 元気よく返事すると、はにかみながらこっちまで走ってきた。さっきまでとは打って変わっていつものみりあになっている。多少落ち着いたとはいえ、みりあはみりあのままだ。
 明日の祭りに備えて、みんなが草壁庵に集まる。その時間まで少し余裕があったので、三人で散歩していた。美咲も少しくらいなら体を動かした方がいいらしい。
 みりあが戻ると、草壁庵へと向かって歩きはじめる。
「明日はいよいよお祭りね」
 みりあに美咲が話しかける。みりあがいない間に俺と美咲は関係が進展していたので、みりあと美咲の関係がどうなるか不安だったが、今の所悪くはないようで安心している。
「楽しみだ! アヒルちゃんショットでゆうしょうするから見ててくれ!」
 話しに聞いたアヒルちゃんショットを楽しみにしているらしい。銃を撃つ真似をしている。
 アヒルちゃんショットは結局毎年行われていて、初回以降は温泉入り隊が優勝している。強すぎるので今年からはシードだ。
「アヒルちゃんショットね。私も活躍したわ」
 みりあが見ていなかったからなのか、ドヤ顔で話を盛る美咲。
「味方の美里さんを撃ち抜いてたな」
「そ、その話はいいでしょ! お母さんが避けないのが悪いのよ」
 本当の事を言われて慌てるなら、言わなければいいのに。子の前で格好をつけたいというのは分からなくもないが。
「まあ誰が悪いとかはいいよ。チームとしてはいろいろあっただろうけど、あれは全体を盛り上げるには一役買ってたし」
 それを聞いて美咲だけじゃなくてみりあもうんうんと頷いていた。お前は見てなかっただろ。
「みりあが美里さんのかたきを取る!」
 かっこつけながら言ってるが、美里さんの仇は美咲だ。
「頑張ってね。私も応援してるわ」
 そしてそれに乗る美咲。絶対分かってないだろう。
「そういえば、みりあは美里さんのことずっと美里さんのままだな」
 女将では無くなったのだから名前で呼ぶというのは間違いではない。でも、家族になったんだ。別の呼び方をしてもおかしくはない。
「少し前にな、おばあちゃんって呼ぼうとした」
 辺りを確認しながら恐る恐るみりあが喋りだす。
「そしたら……」
 なんかぷるぷるし出した。そしてそのまま喋らなくなる。余程怖い目にでもあったんだろうか……。
「みりあ、無理して喋らなくてもいいぞ」
 俺の声にみりあがハッとして、意識を取り戻す。
「助かる。本当のことを言うと、あまり記憶がない!」
 あまりの恐怖に記憶が飛んだのかもしれない。人間の防衛本能というのは凄い。
「そういえば、みりあちゃんは劇をするのよね」
 美里さんの話題に苦笑いをしていた美咲が、話を仕切り直す。みりあは学園の同級生と一緒に、祭りで劇をすることになっていた。
「するぞ! 強い役! とうっ!」
 変な動きをしているが、恐らく飛び蹴りのつもりなんだろう。足が振れてないので、殆ど体当たりだ。
「二人とも、ちゃんと見てくれな!」
 俺たちの方を見ながら、強く言う。
「分かってる。ちゃんと見るよ」
「ふふ。楽しみだわ」
 美咲が温かく微笑む。みりあが帰ってきてから沢山の時間が過ぎたわけじゃない。けれど、喜ばしいことに美咲は随分と母親らしい笑みをみりあに向けるようになっていた。


 草壁庵に戻ってくると、食堂へと向かう。食堂にはかつての仲間たちがいて、騒がしくしていた。
「お、みりあちゃんのご帰還だ。久しぶり!」
 嬉々として心春ちゃんが言う。心春ちゃんの会社には草壁庵もお世話になっている。最近はうちも安定してきたので、担当は心春ちゃん自慢の弟子に代わっていた。
 当の心春ちゃんはというと、それでも気になるのか、たまに湯之原まで来ている。
「心春、久しぶり!」
 みりあも元気よく返事をする。
「久しぶりって、先週会ってたでしょ……」
 桜は困ったような顔をしながら、相変わらず心春ちゃんの変な言動につっこんでいる。彼女は進学したのだが、詳しいことはよくわからない。ただ、暇らしい。単位の取得制限が邪魔だとか言っていた。
「私はちゃんとお久しぶりです!」
 いつの間にか前の方に来ていた唯依ちゃんが言う。なんかこの子は以前とあまり変化がなく、子供っぽさが溢れている。
 唯依ちゃんとは確かにひと月くらいは会ってない。街の方の会社で働いているのだが、たまに遊びに来る。そして杉本さんに掴まって何故か仲居仕事をしている。
「唯依……例のブツは……」
 会うや否や、みりあが悪い顔でなんか言いだした。
「ここに……」
 唯依ちゃんも悪い顔をしている。そして、布に包まれた何かを取りだした。
「確かに受け取った。いつもすまんな」
 渋い言い方をしながらみりあが受け取る。外での変な台詞といい、今といい、なんか悪いものでも食べたんだろうか。それとも、何かの影響か……。
「なんだそれ?」
 変な世界に入りかけていた二人を静止するように、忠信が割って入った。空気を読んでいるのかいないのか。
 みりあの目がきらりと光った、ような気がする。よくぞ聞いてくれたとばかりに忠信に向き直った。
「これだ!」
 勢いよく布をはぎ取ると、現れたのはアヒルちゃん型水鉄砲。
「アヒルちゃんゴッドみりあスペシャル!」
 ポーズを取りながらみりあが言う。その水鉄砲は以前見た時よりも装飾が激しい。しかも黒い。
「名前長いな……」
 忠信の言いたい事も分かる。改良を重ねていくとどんどん名前が長くなっていくのも分かる。
「またの名を、アヒルちゃんブラック!」
 唯依ちゃんとみりあがハモる。示し合わせていたのかと思ったが、顔を見合わせて笑っている。どうやら偶然だったようだ。
「量産したりはしないのか?」
 忠信の言葉に、唯依ちゃんが目を輝かせながら飛びついた。水を得た魚と言わんばかりに、熱く語り始める。内容は量産計画のようで、美咲も気になっていたのか話に入っていった。
 忠信は今は街の空手道場にいる。偶然事故から助けた子供がその道場の師範の子供だったとかで、やり取りをしているうちに意気投合して指導者として雇われたそうだ。
 喧嘩が強いのと指導するのは別なんじゃないかとも思ったが、どうにも忠信はそういうのも上手くやれてるらしい。
「ここは賑やかでいいね」
 いつの間にか隣にいた碓氷先輩に話しかけられた。この人だけは本当に久しぶりだ。
「お久しぶりです。今だけですよ。普段はこんなに人はいないですから」
「お久しぶり。お祭りは良いよね。こうやって集まれる理由にもなるし」
 先輩の顔は少し寂しげだ。確かに、今は学生時代とは違う。集まる理由がなければ、一堂に会することもない。毎年こんな風に集まる場を作ってくれているお祭りには感謝しなくてはならない。
「美咲ちゃんとはどうなの?」
 悪戯な笑みを浮かべる。先輩のこの顔は、からかおうとしている顔だ。
「ちゃんと仲良くやってますよ。みりあとの関係も今の所は良好のようです」
 それを聞くと、先輩のは顔は柔らかくなる。
「良かった。何かあったら相談してね。何もないのが一番だけど。私にじゃなくてもいいから、誰かに話して溜めこまないようにね」
「はい。ありがとうございます」
 優しく微笑んでくれる。相変わらず綺麗な人だ。今はいろんなところを飛び回って活躍しているらしい。お祭りの日は常に空けてくれているようだが。
「マサもお客としてくればいいのに」
「直政さんはお祭りの警備のために、ボランティアで自社のスタッフを動かしてくれてるんです。来てくれるスタッフは有志らしいですけど、会社として責任を持ってやるとの事ですから、忙しいんですよ」
 有志の方々はだいたい、里中さんのためにと張り切って参加してくれる。
「マサも偉くなったもんだ」
「じゃんけんで負けて代表になったらしいですよ」
 初めてお祭りをしたときに力を貸してくれた“SATONAKA SON”。お祭りを重ねるごとに何故かメンバーが増えていった彼らだが、小浮気が学園を卒業すると同時に解散した。
 その後継となる組織が、直政さんが代表を務める“SATONAKA GUARD”だ。
 解散をすることになって、多くのメンバーが今後どうするかを里中さんに相談しに来た。里中さんがなんとなく「暴れる元気があるならそれでみんなを守ればいい」と口走ったことがきっかけで、警備会社“SATONAKA GUARD”を設立することになる。
 メンバーの中には何故か碓氷家の人も数人いて、先輩のお父さんに相談したらしいのだが、この辺りのための組織だということで設立資金を出してくれたらしい。資本の関係もあって代表は碓氷家ゆかりの者にという話だったらしいのだが、そこでじゃんけんして直政さんに決まったのだ。
「じゃんけんは弱いからね、マサは」
「先輩のお父さんは、それを知っててじゃんけんに持ち込んだのかも知れません」
「そうかも」
 先輩は子供っぽく笑う。
「先輩! うちの会社にもサインください!」
 少し離れた所から、心春ちゃんがサインをねだっている。確か去年、会社が安定したら書くと約束をしていた気がする。
「はーい。それじゃ、行ってくるね」
 心春ちゃんの所に向かう先輩。入れ替わる様に美咲がこっちに来た。
「颯人! また先輩と親しげに話てたでしょ!」
 どうやら、俺と先輩の様子を見ていてご機嫌斜めらしい。このくだりは前にもやったような。
「ぷんぷん!」
 なんか怒ってる様子を口に出して表現し出した。頬を膨らませているが、そんなに怒ってはないようだ。
「すまん。でも別にやましいことは話して無いよ」
「それは分かってるけど……」
 妬いてくれているのは幸せなことだとは思う。普段からこんな風につかかってくるわけじゃないし、ちょっと可愛いと思ってしまう。
「だめね、私も。確かに先輩は女性だけど、ずっと一緒に頑張ってきた仲間なのに」
 妬いたことを恥じているようだ。そういえば、去年や一昨年も同じように話していた気はするが、その時は何も言われなかった。今はいろいろと不安なのかもしれない。
「今はそういう時期なんだろ。大丈夫、全く妬いて貰えないってのも寂しいから」
「颯人……」
 美咲の顔が近づいてくる。そう思った瞬間、まるでビームでも発射するかのような音が聞こえた。
「ぉぉぉぉぉ……!」
 どうやら、みりあが手に持っていたアヒルちゃんブラックのトリガーを引いたらしい。前に唯依ちゃんが使っていたのと同じ仕組みなようだ。
「これ、うったら場所ばれるな……」
 ぼそりとみりあが呟く。それを聞いた唯依ちゃんが何かを悟ったような顔をする。
「もしかして、私の位置が直ぐばれていたのは……」
「間違いなくその音でしょうね……」
 どうやら気づいていたらしい桜がつっこむ。唯依ちゃんが気合いを入れて何度も挑戦していたのに成果が残せなかった理由が、今ここで明らかになった。
 それを見て、俺と美咲は顔を笑う。今日がこれだけ楽しいのだから、本番の明日はもっと楽しいのだろうと想いを馳せた。


 翌日。お祭りの一日目がスタートする。
 俺も美咲も温泉祭り実行委員なので基本は裏方だ。ただ、今回は美咲の作業は少なめにしてもらっている。代わりにみりあと一緒にお祭りを回ってもらうことにした。
 合同温泉祭り実行委員会というものが最初のお祭りの後に作られ、その組織が中心となってお祭りを運営している。学園の生徒会、湯之原温泉組合が中心となった組織だ。そこに何故か入り隊ブレインのメガネくんもいる。
 俺は運営本部のある草壁庵付近で、参加団体が申請通りに来ているかどうかの書類チェックを行っていた。
「私たちの頃に比べて、規模も大きくなったね」
 一緒に作業をしてくれていた心春ちゃんが言う。実行委員でもないのにインカムをしているのは、信頼の証なのか、上手く使われているのか。
「心春ちゃんがしっかりマニュアルを残していってくれたからだよ」
 最初のお祭りは、心春ちゃん、如月さん、山吹さんというスーパーな人たちのパワーが大きく貢献していた。それが次の世代の代表たちにも出来るのかというと不安が残るので、心春ちゃんは卒業までにマニュアルを残しておいてくれたのだ。
「いやいや、私のは不完全だったから。ちゃんと仕上げてくれた伊子川さんたちのおかげだよ」
 伊子川さんというのは、心春ちゃんの次の生徒会長さんだ。如月さんと懇意にしていた子で、実力はお墨付き。心春ちゃんのマニュアルでは対応しきれなかった部分を、自分たちの経験を活かして補填してくれた。
 選挙では、心春ちゃんが可愛がっていた唯依ちゃんの友達の真由美ちゃんも立候補していたのだが、伊子川さんに軍配が上がった。
「想いはちゃんと受け継がれてるみたいでよかった」
「そだね。お祭り、出来て良かったね」
 心春ちゃんは嬉しそうに笑う。彼女は今でも学園の生徒会を気にしている。直接干渉はしないが、よく後輩からの相談を受けているらしい。そして、相談しに来た子の多くは心春ちゃんの会社への就職を希望するのだとか。
 最近は安定してきたが、まだ大きな会社ではないので簡単に新卒を採用するわけにもいかないはずだ。けれど、なんとか調整して雇っているらしい。プライベートな時間を割いて教育もしているようだ。
 “SATONAKA GUARD”や草壁庵は新人育成の場としても活用してもらっている。その代わり、コンサルティング料は割引して貰うという仕組みだ。
「ああ、呼ばれてる! 行ってくるね!」
「行ってらっしゃい」
 心春ちゃんはインカムで呼ばれて、慌てて行ってしまう。慌ててたせいか呼ばれた場所とは違う方向に走っていった。インカムで通話して訂正しておく。
 出来る子なのにどこか抜けてるのは、以前のままだった。
「さて、俺もそろそろフードコートに行くか」
 遅れると、お師匠様に怒られてしまう。


 フードコートもお昼時を越え、一段落した。
 そろそろアヒルちゃんショットが始まるので、みりあの活躍を見に行かなくてはならない。アヒルちゃんショットの行われる会場が比較的良く見える場所へと移動する。
 目的の場所へと着くと、美咲がいた。昔と違って今は椅子が用意されているので、観覧も楽だ。
「お疲れさま。もう直ぐ始まるわよ」
 俺が視界に入っただけで、美咲は微笑んでくれる。今は笑顔でいることが多くなったが、出会ったばかりの頃は怒ってばかりだったなと思い返す。だからなのか、美咲の柔らかい笑みを見る度に、幸せを感じる。
「みりあ、朝はどうだった?」
 美咲の隣に腰を下ろす。美咲とみりあは一緒に回っていたはずだ。朝は大きなイベントはないが、学園の文化祭ライクな出し物が多い時間帯なので、みりあは楽しめたんじゃないだろうか。
「はしゃいでたわ。昇り竜さんの所ででやっていたパンチングマシンがお気に入りだったみたい」
 パンチングマシンか。ゲームセンターにみたいのを持ってこれるわけでもないだろうから仕組みが気になるが、強さを測るというのは俺もロマンを感じる。
「どういう仕組みなんだろ」
「高橋さんが受けて、数値を言ってたわ」
 心なしか美咲も残念そうな表情になっていた。それマシンじゃないし。
「みりあはいくつだった?」
「みりあちゃんは30くらいだったわ。私は10だった」
 なんでみりあより低いのにドヤ顔なんだ。というかやったのか……。
「あまり無理するなよ」
「うん。大丈夫」
 美咲は微笑む。本当に笑顔が柔らかくなったなと思う。しかしみりあの方が高いという事は、恐らく助走を付けて飛んだんだろう。体重が乗れば、衝撃は大きくなる。俺も後で忠信と行ってみるか。
「あ、みりあちゃん出てきたわ。さっき実況の人が“みりあ団”は一回戦って言ってたから、これからね」
 みりあは学園の友人たちとチームを組んでみりあ団として出場している。転校してきたにも関わらず、今ではクラスの中心人物だと担任の先生から聞かされた。
「対戦相手は着ぐるみ軍団らしいわ。毎年いるけど、一体誰が入ってるのかしら……」
 不思議そうにしてるけど、入ってるの絶対唯依ちゃんたちだろ。最初はユノコとユノきちだけだったマスコットも、今ではユノミ、ユノすけという仲間が増えている。それにペペたんが加わったのが、着ぐるみ軍団だ。ペペたんの中身だけは不明だ。
「みりあちゃん大丈夫かな。転んで怪我したりしなければいいんだけど……」
 美咲が心配そうにそわそわしている。
「大丈夫。あれで結構運動神経はいいんだ。先生も、体育の成績はいいって言ってただろ」
「うん。算数は頑張りましょうって言ってた」
「それは言うなよ」
 算数は頑張りましょうという話になったのも、例えば距離と時間の問題で、曲がる時は速度はどのくらい落ちるのかとか、移動する人のスタミナが切れたらとか質問するのが原因らしい。問題を問題として割り切れないのは問題だが、演算能力は差ほど問題はない気がする。
「ユノコたちも出てきたわ」
 美咲の言葉で、会場を見る。着ぐるみがぞろぞろと歩いて出てきた。なんだかあれも毎年装飾が増えている気がする。旗とか前は背負ってなかったよな……。
 湯之原のマスコットの旗には“天下布武”や“風林火山”などが書かれている。ペペたんの旗には“一夫多妻”とあった。なんの主張なんだ。
 審判の合図で、両チーム共に町中に消える。みりあだけは見ていようと思っていたが、どうやら建物の隙間に隠れたようで見えなくなってしまった。
 みりあの姿を探している内に、何人かが脱落する。みりあ団が二人と、ユノミがやられてしまった。たぶんあれは心春ちゃんが入ってるんだろうな……。
 それにしても、双方とも水鉄砲から凄い音がしている。アヒルちゃんブラックはみりあだけのようだが、他のメンバーはみんなアヒルちゃんゴッドだ。いつの間に量産されてたのか。
 暫くすると、道の真ん中でユノすけが硬直していた。あれはたぶん真由美ちゃんあたりが入ってるんだと思うんだが、何をしてるんだろう。近くにはみりあがいた。
 警戒しながら近寄っていくみりあだが、ユノすけは動く気配がない。
 射程内に捉えたと思ったら、急にユノすけの首だけがみりあに向く。
「ひぃ!」
 みりあが声を出して後ずさりをした。確かにあれはホラーだ。けど、それ以上何もしてこない。
 なんとか踏みとどまったみりあが一発当てて、ユノすけは脱落した。もしかしてまたなんか着ぐるみに問題が発生したんだろうか……。
 内部構造は、もはや唯依ちゃんと桜がいないとどうにもならないくらい難しくなっているらしい。
 ユノすけを倒したみりあの先には、ユノすけを心配して集まってきたらしい残りの着ぐるみが三体揃っていた。その更に先には、みりあ団の二人がいる。状況的には、みりあ団が着ぐるみを挟んでいる。
 それを見てみりあは強く出た。一気に距離を詰め、着ぐるみへと迫る。
「みりあちゃん、今よ! やっちゃえ!」
 美咲はいつの間にか立ち上がり、拳を握ってパンチを繰り出していた。
 ここからじゃ声は届かないだろうと思ったけど――、きっと、そういうのは関係ないんだろうな。
「うぉぉぉ!」
 みりあが声を上げながら突進すると、水鉄砲を発射した。
「アヒルビィィィム!」
 轟音と共に真っすぐに飛ぶ水。しかしそれを着ぐるみたちは羽で防いだ。……ありなのか?
「なんだと……」
 みりあも驚いている。審判が動かないので、反則ではないようだが、気になるところだ
 着ぐるみたちがみりあに気を取られている隙に、みりあ団の二人も距離を詰めていた。
 着ぐるみたちはみんなみりあの方を向いている。だからこそ油断したのだろう。着ぐるみは振り返ることなく、水鉄砲を後ろに向けて共に発射した。
 虚を衝かれたみりあ団は避けることもできずに脱落する。それに一瞬意識が向いたみりあも、隙を突かれて水を当てられてしまう。
「まじか……」
 がっくりと落ち込み、うなだれている。審判が着ぐるみ軍団の勝利を告げる。可愛そうだが、現状のルールではあれはセーフらしい。しかしあの着ぐるみ、さては後ろも見えるようにカメラを付けてるな……。
「みりあちゃん負けちゃった……」
 落ち込んでいるみりあを見て、美咲も落ち込んでいた。
「仕方ないよ。着ぐるみ軍団は一応アヒルちゃんショットのベテランだし、なんか如何わしいシステムがいっぱいついてそうだし」
 後で何がついてるのか調査して、問題があるものは次のお祭りでは禁止にしよう。
「でも、あんなに楽しみにしてたのに」
「それでも一応ルールに沿って戦って負けたんだから、仕方ないことだよ。みりあだってわかってる」
 みりあを見てみろと、美咲に促す。
 みりあは元気よく顔を起こすと、すっきりした表情で着ぐるみをべたべた触っていた。中の仕組みが気になってるらしい。
「みりあちゃん、あまり落ち込んでないんだ」
 どちらかというと、みりあよりも美咲の方が落ち込んでいるように見える。
「みりあは結構あっさりしてるからな、負けは負けだと割り切れるんじゃないかな」
「ストリートみたいね」
 美咲にも笑顔が戻る。でもたぶんそれはアスリートの間違いだ。スポーツマンじゃなくて格闘家みたいなイメージになってしまう。
 体育祭の時もそうだったが、美咲はみりあの参加する競技で一喜一憂する。その時よりももっと、美咲がみりあの活躍を楽しみにしているのが伝わって来た。
 だからこそ、みりあが自分の事をどう思っているのかが気になっているんだろう。

 アヒルちゃんショットは全試合が終わり、優勝は温泉入り隊だった。メガネくん勝ちどきを上げていて、何故かみりあも一緒に騒いでいる。着ぐるみ軍団は決勝で敗退した。
 問題の着ぐるみの中身だが、全方向を視認できるカメラと、着ぐるみでありながら人間の様に動くことを可能とする補助用の機械が入っていた。ユノすけはこれが故障して逆に重りとなってしまったために動けなかったらしい。
 とりあえず、以降のお祭りでは全方向カメラと、羽による防御が禁止となった。
 表彰式が終わると、みりあがこちらに戻ってくる。
「どうだった?」
 楽しみにしていたようだったから感想が気になる。
「楽しかった! 勝ちたかったけどな」
 そうは言うものの、顔は笑っている。
「よし、じゃあ今度イカちゃん2で一緒に唯依ちゃんを倒そう」
「いいけど、おとうちゃん弱いからな。一緒にやると唯依には勝てん!」
 言われてしまった。確かに俺では唯依ちゃんの足元にも及ばない。
「それなら私がやるわ」
 今度は美咲が自信満々に申し出る。
「おかあちゃんはもっと弱い!」
「がーん」
 自覚してなかったのか、美咲は落ち込んでしまう。無理もない。俺もそうだが、美咲も元々ゲームをやる人間じゃない。日々鍛えているみりあや唯依ちゃんにはかなわないのだ。
「来年は勝つ!」
 誰に向かってなのか、拳を掲げながらみりあが叫ぶ。注目を浴びても気にしている様子はない。みりあらしいななんて思いながら、真っすぐに育ってくれていることを喜ぶのだった。


 お祭り二日目では、今でも温泉ハロウィンが行われている。変わったのは、“ぬるま湯にしてやろうか”だけでなく“ぬか床にしてやろうか”でも大丈夫になったことくらいだ。
 みりあも楽しんだようで、沢山お菓子を貰ってきてご満悦だった。
 夕方、日が落ち始める頃になると、みりあの演劇が始まる。もっと明るい時間にやればよいのにとは思ったのだが、この時間が良いという指定があったらしい。
 俺と美咲は観客席へとつく。
 本来ならいろいろと裏で作業をする必要があるのだが、心春ちゃんたちがやってくれるというので、お言葉に甘えてじっくりと劇を見させてもらう。一応録画されるらしいので、裏作業で見れなかった人たちは後で見ることも可能だ。
「どんな劇なんだろう」
 隣にいる美咲が言う。
「パンフレットに書いてたな。異星人と、ヒーローが戦う話らしい」
「異星人の役を誰がやるのか気になるわ……!」
 期待に満ちた表情で言う。随分と目の付け所が違った。みりあは強い役と言っていたので、ヒーローの役だろう。たぶん、異星人だったらあそこまで張り切らないとは思うが……。
 ステージは、今年から大きなバックスクリーンがついている。詳しいことは分からないが、どこからか心春ちゃんが調達してきた。
 たぶん、そういうのを作ってる会社に協力してもらってるんだろうけど、ぽんと持ってくるんだから凄い。後で経緯を聞いておこう。
 関係者が一度舞台の上に出てきて挨拶をすると、いよいよ始まる。
 大まかな説明が行われたあと、ステージの照明が落ちて、スクリーンにどこかの惑星が写った。なるほど、これを有効活用するためにこの時間を選んだのか。
 しかしこれだけ演出に手が掛かっているという事は、この劇、思ったよりも企業が関わっているんだろうか。
 ナレーションのお姉さんが喋り始める。
 お姉さんによると、エネルギー問題の解決の過程で生み出された自然エネルギーを戦闘エネルギーに転換できるシステムを用い、ヒーローを生み出したらしい。
 異星人とは対話が成立せず戦闘を余儀なくされる。異星人として画面に映し出されている生き物は、爬虫類と人が混ざったような姿をしている。リザードマンというやつだろうか、体は緑色で人よりも随分大きく、甲冑を着ている。
 ヒーローに変身するためには手術が必要らしい。地球のためとは言え、研究者たちは他人に改造人間になることを強いることはできなかった。
 だが、その研究所の責任者である博士の子供。正確には面倒を見ていた孤児たちが、助けてもらった代わりに今度は自分たちが助ける番だと、手術を受け入れたのだという。
 孤児という言葉に少し引っかかったが、物語なのでそういうこともあるだろう。
「それでは、ここから物語は始まります。皆さん、ごゆっくりとお楽しみください」
 お姉さんの声が聞こえなくなると、画面には市街地が映し出された。ところどころ破損していたり、煙が上がっていたりする。そこにみりあが現れる。なんか、こちら側に背を向けている。
「あ、見て! ほら、みりあちゃん!」
 美咲が突然騒ぎ出すが、直ぐに静止する。騒ぎたい気持ちも分かるが、他の人の迷惑になってしまう。
「始まってしまったか……」
 こちらを見ないまま、みりあが言う。
「嫌な風だとは思っていたが、とんでもないものを運んでくる」
 もしかして、この間言ってたよくわからない台詞はこれに関連するものだったのか。練習していたんだな。
「だが俺には関係のない事だ。俺は影。潜んでいるのが似合いだ……」
 そこまで言うと、みりあは引っ込んだ。代わりに三人の子が飛び出してきた。二人男の子で、一人女の子だ。
「酷いな……」
 リーダーっぽい子が言う。赤い格好をしている。
「ああ……こんなことになってるなんて。俺たちの手術がもっと早く終わっていれば」
 今度は、もう一人の男の子が言う。青い格好をしている。
「あ、あれ!」
 緑の格好をした女の子が言うと、同時にリザードマンの着ぐるみを着た人が出てきた。サイズは大人の物で、少し大きめだ。映像ではもっと大きかったが、そんなサイズの物を動かすことは出来ないだろうから、小さい子と大人という対比で大きく見せているんだろう。
 リザードマンは猛獣の唸るような声を出すだけで、言葉は話さない。最初から随分と好戦的な態度も取っている。言葉は通じないというアピールなんだろう。
 三人が身構える前に、リザードマンが襲い掛かった。三人はアクロバティックに体を捻ってそれを避ける。すごい。
「行くぞ!」
 赤い子が音頭を取ると、三人ともポーズを取る。バックスクリーンがサポートし、三人にエネルギーが集まっていく様子が描かれた。
「今は太陽が出ている。俺に任せてくれ」
 赤い子が前に出る。台詞から考えるに、この子は太陽エネルギーで戦うようだ。
 構えを取り、リザードマンと対峙する。前に踏み出すと、まるで映画のような殺陣を行う。赤い子も凄いが、着ぐるみでそれをやってる人も凄い。
 暫くして、赤い子が正拳突きを決めるとリザードマンが光りに包まれて倒れた。
 その後も場面が変わりながら、沢山の敵を倒していく。
 その展開で、三人は様々な自然エネルギーを吸収できるが、それぞれ得意なエネルギーが存在することが明かされた。
 赤い、レッドと呼ばれている子は太陽光。青い、ブルーと呼ばれている子は水に関するもの。緑の、グリーンと呼ばれている子は風だ。
 自然エネルギーというのは安定して得られる物では無いから、その時の天候に合わせて誰か一人はフルパワーになる様に調整されているとのことだ。全員全部が得意というのは、技術的に無理らしい。
 戦いは順調に進み、リザードマンたちの数も減っていった。だが、とあるリザードマンの出現でヒーローたちは窮地に陥っていた。
 今までとは違う甲冑に身を包んで、言葉を喋る。喋るのだが、それによって平和的な態度を見せて、ヒーローたちを欺き叩いた。
「カトウ種族が。スナオに星をアケワタセバいいものを」
 リザードマンが言う。少し片言だ。
「くっ……」
 レッドが顔を上げるが、立ち上がれない。
「話せるのなら、話し合いで、解決を……」
 グリーンは騙されてもなお話し合いでの解決を望む。だが、リザードマンにその気は無いようだ。大きく息を吸い、火を吐いた。
 それは三人を包み込み、燃え上がる。レッドが比較的ダメージが少ないようには見えるが、吸収できるとかでは無いようだ。
 そこに、大きなエネルギーの球が飛んできて、炎を吹き飛ばしリザードマンに命中した。
「クッ……」
 リザードマンが膝をつき狼狽えていると、陰からみりあが飛び出してきた。黒い格好をしている。
「ぐ、ナンダこれは、立ち上がれナイ」
 どうやら、リザードマンは立ち上がれないようだ。台詞や挙動を見ると、ダメージが原因ではないように見えた。
「ずっと眺めているだけのつもりだったが……」
 みりあが喋る。その間に、他の三人は自然エネルギーを吸収して回復しているようだった。
「兄弟がやられているのがこんなに気分が悪いものだとは思わなかったぜ」
 向こうもその間に、指揮官と思われる喋るリザードマンを助けるために沢山のリザードマンがやって来た。だが、みりあが全部地に伏せさせた。
 その後のシーンでは、みりあは三人の前に手術を受けたプロトタイプである事と、重力エネルギーを吸収することが出来ること、シャドウと呼ばれていることが判明した。
 物語は進み、ついに後がなくなったリザードマンたちは、母星を隕石の代わりに地球に落とし、道連れにするという手段に打って出る。
 それを食い止めるために、ヒーローたちは敵の母星に乗り込み、敵の最高権力者を撃ち倒す。だが……。
「まずい、接近が止まらない!」
 レッドが言う。額には汗がにじみ、随分と焦っている様子が窺えた。星を動かしていた装置は破壊したが、勢いがついてしまっては宇宙空間では自然に止まることは無い。
「こうなったら、この星事破壊するしか……!」
 ブルーが痛めた腕を押さえながら言う。この星には、雨も降らず、風もない。満足にエネルギーの供給が得られるのは、太陽と重力だけだ。
「でも、そんなことしたら地球に隕石が!」
 グリーンも多くの傷を負っている。地球でなら放って置けば風エネルギーで治るような傷でも、ここでは回復出来ない。
「でもよ、正面衝突よりはましだろ!」
 ブルーのいう事はもっともだ。どちらも酷い事態になるが、正面衝突よりは、幾らか摩擦で燃え尽きてくれる隕石群の方がましだろう。ただ、どちらも人類は滅亡する。
「けど、爆発させる方法すらない……」
 レッドの意見に、ブルーとグリーンも表情を暗くする。核爆弾が用意してあるわけではないし、それを埋めるだけの穴を掘る時間もない。
「お前たちは帰れ。後は俺がやる」
 今まで黙っていたみりあが言った。
「どうやって!」
 ブルーがみりあに詰めよる。現状解決方法はないのだから、無理もない。
「エネルギーを最大まで解放して、重力でこの星を消滅させる」
 みりあは三人に背を向ける。覚悟は決まっているようだ。
「自分を犠牲にして地球を守るということ……?」
 グリーンの言葉にも、みりあは振り向かない。
「そうだ。だからお前たちは帰れと言っている」
「そんなの、認められるかよ! 兄弟だって言ったのは、あんただろ! 兄貴を置いて自分たちだけ逃げろなんて、無理に決まってるだろ!」
 ブルーが捲し立てる。それでもみりあは振り向かない。
「俺がなぜ失敗作として扱われていたか知っているか」
 その言葉に、ブルーは勢いを失う。
「い、いや……」
「重力というのは、絶えず存在する。絶えずエネルギーを吸収し続けるのだ」
 三人は、何かに気づいたらしい。だが、その予想が間違いであってくれと、願うような、切ない表情をしている。
「それ故、いずれ体が耐えきれなくなってしまう。調整して戦えば何とかなったかもしれない。だが、そんな事を言ってられる戦いでは無かった。この星に来た時点で、俺の体はとっくに限界を超えていたんだ」
「そんな……」
 グリーンが膝をつく。良く見ると、涙を流していた。
「それに……」
 みりあは言い淀む。少し間を開けて、再び喋り始めた。
「お前たちには、家族がいるだろう」
 その言葉に、三人は顔を上げみりあを見る。しかし、言葉は出ない。だが、レッドが絞りだす様に言葉を繋いだ。
「あんただって、いるだろ……」
「俺にはいない」
 みりあが下を向く。こちらからは表情が窺えない
「お前たちとは違って、俺は事故で死にかけていた時に手術を受けた。初めての改造手術、それはある種実験だ。死にかけの人間なら丁度いいと思ったんだろうな」
 下を向いていたみりあが、今度は上を向く。
「だが皮肉なことに、俺は改造手術をしたことによって助かったらしい。一緒に事故にあった家族は助からなかった」
 今度は、三人の方を向く。今までの、かっこつけた表情とは違う、真剣なものだった。
「最初は都合よく人の体を弄びやがってと思っていたが、お前たちと触れ合う博士の様子を見て気づいた。あの博士は、俺が助かるための可能性に賭けただけなんだってな」
 みりあは尚も続ける。今度は、どこか優しい表情をしている。
「だから帰れ。あの博士はお前たちの家族なんだ。血の繋がりはないかもしれない。戸籍上の繋がりもないかもしれない」
 みりあの言葉を聞いて、美咲がピクリと反応をする。
「でも、生みの親と同じかそれ以上にお前たちの事を愛している。お前たちもそれが分かっているから、自ら手術を望んだんだろう」
 会場はしんとしている。みりあたちは真剣に演じている。それに敬意を払うように、観客も真剣に見ていた。
「本当に大切なのは、血の繋がりじゃない。想いの強さだ。血なんか繋がってなくても、想いが強ければ本当の家族になれる」
 そこまで言うと、みりあは再びこちらに背を向ける。
「家族がいて自分の事を想ってくれる。それは本当に幸せなことで、だから頑張ろうって、喜んでる顔が見たいって思うんだ。そうやって互いを想い合えるのが家族なんだ」
 みりあは背を向けている。だけど、この言葉は俺と美咲へ向けられた言葉なのだと、なんとなく感じ取れた。
「だが、俺にはもうその未来は手に入らない。お前たちには俺の分まで、家族のいる幸せを感じて欲しい。そして博士に、助けてくれてありがとうと伝えてくれ」
 そう言うと、みりあは消えてしまう。みりあの言葉を聞いて、涙が溢れそうになる。最後の方の台詞、どう考えても不自然だろ。無理やり入れ込んだんじゃないのか。
 だが、俺は耐える。なぜなら、横で美咲が号泣しているからだ。
 みりあは劇をちゃんと見てくれと言っていた。思い返して見れば、劇の発案もみりあだと言っていた気がする。みりあなりに、血の繋がりなんてなくても本当の親だと思っていると、俺たちに伝える方法を探していたんだろう。
 そして、本当に幸せだと言ってくれた。我慢してたけど、耐え切れずに俺も泣いてしまう。
 結局そのまま劇が終わるまで、俺と美咲は泣いていた。邪魔になるので途中で移動したのだが、劇は遠目に見ていた。
 みりあの登場はあれで最後で、後は、自分たちが残って死んでしまったらシャドウが犬死だとか、地球を救った真のヒーローは誰かを伝えなければならないとか、想いを伝えるとかそういう事を話して三人は脱出をした。
 単純なヒーローものだと思ってたけど、思ったよりも話は作りこまれていたようだ。
 舞台袖で待っていると、劇を終えたみりあが元気よく飛び出してきた。
「とう!」
 走ってこっちまで来たが、微妙に距離を開けて立ち止まる。何か言いたそうにしてるが、喋り始める気配はない。
 あの言葉がみりあの伝えたかった気持ちであり、それを劇の中の台詞に委ねたという事なら、面と向かって言うことがはばかられたという事だ。たぶん、恥ずかしいからとかで。
 そして今、俺たちの前で手をこまねいている。みりあは俺たちに想いを伝えてくれた。ならここからは、俺たちの番だ。
「みりあ、ちゃんと劇みたぞ」
「お、おう……」
 恥ずかしいのか、みりあに目線を外される。もじもじしながら、続きを気にしているようだった。
 俺が言葉を選んでいると、美咲がスッと前にでる。
「凄く嬉しかった。私、よかった……」
 目に涙を浮かべ、みりあを見る。そこに、みりあが近づいてきた。
 手を差し出し、美咲を見つめる。美咲はその手を取ると、ギュッと握った。
「おかあちゃん、これからもよろしくな」
 みりあが笑顔で言う。
「うぅ……ぐす……みりあちゃん……」
 美咲は泣き崩れ、みりあを抱きしめる。みりあはなんだか恥ずかしそうだ。
 美咲は、俺と比べてみりあと過ごした時間が短い。それでも、一緒に暮らす様になってからは随分とみりあの世話を焼いていた。
 みりあが何かのイベントに出ると言えば駆けつけ、応援をする。食事も将来お弁当が必要になった時、自分が作るんだと勉強している。
 決して器用ではないけど、一生懸命に母親をやっている。本当の家族になるために、歩み寄る努力をしていた。
 みりあのための努力は、みりあに見られない様にしていたけれど、みりあは知っていたのかもしれない。だから、美咲の気持ちへの答えを用意した。
 自分は幸せなのだと。
 みりあと会えない時間は長かったけど、会えない分お互いを想う事が出来たのかもしれない。同時に、美咲が母となるという事を考える時間にもなったんだろう。
 共に暮らした時間は本当に短い。でもそれを補う、とても強い想いがあったから、今があるんだ。


 演劇の後、俺たちは少し休憩して再びステージへと戻った。祭りはクライマックスで、最後の催し物、湯之原ライブステージが行われる。
 トップバッターは小浮気だ。相変わらず“Unkonow”でエントリーしている。
 どこで何をしているのか誰も知らないが、祭りが近づくと必ずエントリーしてくる。
 抽選であるにも関わらず毎回当選しており、今回からは皆勤を称えて優先的に参加する権利が与えられる程になっていた。
 というのも、“Unkonow”には変なファンが付き、お祭りのお約束になってしまったという事実があるためだ。
 小浮気が現れると、会場にはうんこコールに包まれる。本人も満更でもないようで、手を上げて会釈をしていた。
「うぉぉぉぉ! うんこー!!」
 会場の熱気のせいなのか、みりあもノリノリで叫んでいる。それを聞いた美咲は、みりあの将来を憂うような顔をしていた。
 結局、変わった音楽を披露していたが、盛り上げ役としては申し分のない活躍をしている。変な奴だけど、こうして毎回来てくれるのは嬉しい。
 その後も沢山の団体が演奏をしてくれて、会場のボルテージは上がっていく。祭りが有名になり、参加団体も増えているためか質も上がっており、一種の音楽イベントとしても扱われているようだ。
 そして最後は碓氷先輩の歌。「今はもう始めと違うから私がトリじゃなくても」と先輩は言っていたが、そこはもう人気だからトリをするとかそういう事では無くなっている。
 初めに小浮気が歌い、終わりに先輩が歌う。それが合同温泉祭りのあり方だ。
 先輩は毎回このタイミングで新曲を披露してくれるので、先輩のファンからしても注目度の高いイベントになっていた。
 温泉祭りのためにカードを切ってくれているのだから、頭が上がらない。
「穂乃香が歌うの見るの、久しぶりだ」
 みりあが言う。みりあは戻って来てからは音楽を聴くようになっていた。先輩の曲が好きなようで、今日も楽しみにしていた。見えないだろうから、肩車をしてやった。
 近くでライブを行う時はチケットが送られてくるので、連れて行ってやろう。
「先輩凄いよね。自分も歌手やって、代表もやって」
 ステージの上で手を振る先輩を見ながら、美咲が言った。
「美咲だって草壁庵の女将しながら仲居業もたまにしてるだろ」
 俺が返すと、美咲はこちらを向く。
「私は沢山の人に支えられてるから出来てるの」
 草壁庵も以前と比べたら少し人が多い。その人たちに支えられているから出来るのだと美咲は言う。
「碓氷家の人が結構補助してるみたいだよ。後は補佐する子くらいはいるんじゃないかな」
 碓氷家の中にファンクラブがあるらしく、その人たちは仕事を手伝っているようだ。
「ならよかったわ。私が行く必要はなさそうね」
 行く気だったのか……。その間草壁庵はどうするんだ。
「ほのかー!!」
 みりあが叫ぶ。周りはがやがやしていて聞こえる訳がないのに、先輩はこちらの方を見て手を振ってくれる。そしてなんだか目が合うと、微笑んでくれた気がした。
 先輩が喋り始めると、辺りは静かになる。足を運んでくれた人へのお礼と、新曲にどういう想いが詰まっているかという話だ。
 終えると、音楽が掛かる。するとさっきまでちらちらとしか見えてなかった光る棒が、沢山振られていた。
 何回見ても、この湯之原全体が揺れる様な感覚は凄い。この何とも言えない一体感は心を高揚させ、また味わいたいと思ってしまう。
 でも、まだみんな少し抑えている。新曲の後に、本当の最後の曲、紅吹雪が待っているからだ。
 始まりに関わったものは、いつまでも強く心に残る。合同温泉祭りといえば紅吹雪だと言われる程に、この曲はこの祭りと共に生きてきた。先輩も、ここ以外で歌うことは無い。
 その曲が流れ始めると、俺は美咲の手を取る。美咲も握り返してくれた。みりあは、俺の髪の毛をぐしゃっと掴んだ。
「あの時の事を思いだすね」
 美咲はステージの方を見たまま話す。最初の祭り。実現するまでとても苦労した。それでも、その結果は苦労に見合うものがあった。
「そうだな……」
 草壁庵を、湯之原を活気づかせるため。みりあを再び迎えに行くため。みんなで一生懸命に努力した。
「諦めなくて良かった」
「美咲が諦めなかったから、みんなも諦めなかったんだ」
 美咲はこちらを向くと、首を振る。
「私は颯人が諦めなかったから、諦めなかったの」
 とても柔らかい笑顔を向けてくれる。
「関わった誰が欠けても成功しなかった、だな」
「みりあもだな!」
 頭の上の方から声がした。声が大きかったので、びっくりしてみりあを落としそうになった。昔よりサイズが大きいので、バランスが崩れると立て直すのも大変だ。
「みりあちゃんも。みりあちゃんに会いたいという気持ちは、みんなをやる気にさせてくれたわ」
 みりあがいなかったら、俺は今持っている多くのものを持っていなかったはずだ。苦労しなかったわけじゃない。だけどそんなものは気にならいくらい、みりあとの生活は素晴らしいものだった。
 美咲とみりあと三人で、元気を取り戻した湯之原で暮らす。その願いを実現させるために積み重ねてきた努力は、今ここで実を結んだ。
 それが嬉しくて、幸せで、幸せ過ぎて不安になる。
「幸せなんだけど、こんなに幸せでいいんだろうか……」
 それを聞くと、美咲は体を寄せてくる。
「颯人は小さい頃苦労したんだから、幸せになっていいの」
 苦労した分幸せになっていいと、美咲は言ってくれる。それが正しいのなら、俺にはもう一人感謝をすべき人がいるようだ。
「それに、颯人にはこれからもっと頑張って貰わないといけないんだから」
 美咲はお腹をさする。その表情は、みりあを見るときの、母親を感じさせるものだった。
「みりあもついにお姉ちゃんだな!」
 その言葉に、俺と美咲は顔を見合わせる。美咲は微笑んでくれた。
 この幸せを守るために、今まで以上に努力しなくてはならない。壊れるのは一瞬だと知っているからこそ、守れるものもあるだろう。
 大変なことかもしれないけど、家族がいれば、なんだって乗り越えられる気がした。


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